日本でのDV被害者支援

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女性の家 HELP を開設

 1980 年ごろフィリピンやタイなどから出稼ぎ女性たちが日本に来るようになりました。売春防止法によって日本人女性には、婦人相談所に入所できる場所がありましたが、外国籍女性たちには行き場所がありません。フィリピン大使館やタイ大使館からの要望もあり、当時の矯風会の会員は、100周年の記念事業としてアジアの女性のためのかけ込みセンターを作りたいと思っていました。HELP の1代目責任者である大島静子さんは、多くの賛同を得、準備に取りかかったのです。日本で初めてかけ込みセンターができるとのニュースが広まり、アジア、アメリカ、ヨーロッパから支援が送られてきました。そして 1984 年ネットワークニュースが開始され、第1号には賛同金を矯風会の会員や各地の教会に呼びかけています。50,000,000 円の予定がその倍の資金が集まりました。HELP 設立を喜び、いまでは考えられないような資金がささげられました。 

 私は、女性の家 HELP で 1997 年、半年だけタイ語の通訳スタッフとしてパートで働きました。HELP は設立当初からタイ人の利用者が多く、タイからスタッフを雇い入れました。 

 タイ人のほとんどが人身売買の被害者でした。13 ある部屋は何時も満室になり、広い居間まで使いました。その後 1991 年からスタッフになり 2000 年にディレクター(責任者)として働き始めました。 

 働き始めて驚いたのは、女性たちがいろんな所から来ていることでした。日本人の多くは夫からの暴力で逃げてきた女性と子どもたちでしたが、その他にタイ、フィリピン、韓国、コロンビア、香港、米国など様々な国から HELP に避難してきました。 

 1980 年代にアジアから女性たちが日本に 移住者として来日しました。 

 日本は海外からの単純労働者を認めていない国で、女性が得られるのはエンターティナービザ(ダンサー、シンガーとして)です。しかし、たとえ在留資格があったとしても送られるところが性産業であるため、リクルーターやブローカーからの人権侵害が生じます。「興行」が人身売買の隠れ蓑として利用されてきましたが、2005 年 2 月にやっと法務省令が一部改正され、査証認可基準が厳しくなりました。その後エンターティナーとして日本に来られなくなった女性たちは、斡旋業者が介入する日本人妻として来日し、中には、偽装結婚も報告されています。 

 1980 年代の後半から 90 年代の前半にかけて、タイ人の女性たちが来日するようになり、入国管理局の統計によると 1991 年には 10 万人を超えました。80 年代後半から90 年代の前半には、年間 20,000〜30,000人のタイ人女性たちが国際的人身売買組識によって日本に送りこまれてきました。こうした女性たちは、その「性」が商品として扱われ、性そのものに値段がつけられ、 300 万から 400 万円の架空の借金が彼女たちに課せられたのです。2006 年には 600 万円にもなっています。91 年から 93 年にかけて全国でタイ人のママさん殺しが起きました。私が裁判の傍聴や拘置所へ面会したのもこれらの事件でした。この事件で「女性たち」は裁かれました。しかし、本当に裁かれなければならないのは、女性たちを性の対象やモノとしてしか見ていない買春する男たちです。さらに彼女たちを搾取し、架空の借金を負わせ、金をむさぼる店の経営者や暴力団、背後にあるタイや日本の人身売買の組織、これこそ裁かれなければならないのです。 

 殺人事件の裁判で、女性たちの背後にいる黒幕の存在が明らかになりましたが、それにも関わらず、人身売買の問題が国際的な舞台に登場するまでには 10 数年の月日がかりました。 

人身取引(人身売買)について

 「人身取引」トラッフィキングは、何らかの強制的な手段で、弱い立場にある人々を別の国や場所に移動させ搾取することを言います。  
人身取引と言うと性的搾取のために若い女性や子どもが国際的に取引されることが一般的なイメージですが、男性や大人が、強制労働や物乞い、臓器摘出のために犠牲となる場合も見られるのです。 

 アメリカの国務省の人身取引のランク付けで、やっと政府が動き始めて真剣になりましたが、まだまだ一般の人には届いていません。 
人身取引対策行動計画(2004 年 12 月)と人身売買罪が新設(2005 年 6 月)され、日本は、2002 年 12 月、国際組織犯罪禁止条約を批准し、人身売買禁止議定書に署名をしました。 

 1993 年ごろからコロンビアの女性たちがコロンビア大使館を通して逃げて来ました。女性たちからブローカーの名前がソニーだと聞かされました。日本の有名な電化製品の名前からニックネームがソニーと付けられたそうです。何とかソニーを捕まえてほしいと警察に訴えたところ、警官が来てブローカーも悪いが、あんたたちも法を犯して日本に来ていると言うので、私は人身売買の仕組みをとくと話しました。刑事は、それは悪い奴だ、何とか捕まえると言 ってくれました。まだまだ人身売買について警察も知らない状況が続きました。 

 被害者たちは、劣悪な環境下に置かれており、HIV 感染、薬物依存を含む精神的、身体的疾患を抱えていました。そのような状況下で、母国に送金できれば我慢を続けます。女性の家 HELP に保護された女性たちに「何か心配なことがありますか」と聞くと、まず親のこととコンドームを付けたがらない客を相手にしなければならない状況の中、HIV に感染しているかもしれないと心配しています。女性たちの心配を取り去るために、病院に連れて行くとほとんどの人が性感染症を患っていました。妊娠している人もいます。HELP 滞在中の女性たちは眠れないと訴えていました。うつ的な症状の人がいて、現在でも被害者にそのような状況が続いていると思います。 

 ソニーから性的被害を受けて妊娠してしまったRさんはカトリックの信者です。子どもを殺すことはできないが、ソニーの子を産むことはできないと思い、下ろすことにしました。彼女の苦しんでいる様子が私にも分かります。病院へ行く日、電車に乗り帽子で顔を隠し、K駅近辺に来ると、わなわな震え始めました。このあたりは、見覚えがあるらしい。私は彼女を励まし何とか病院に着くことができました。 

 女性たちが再び人身取引の犠牲者にならないようにするには、受入国と送り出し国が何をなすべきかを考える必要があります。第一に、身の安全と生活の安全を保障できるような手立てが必要です。帰国後の再統合の問題が重要な課題でもあります。 

 このような経緯の後、平成 25 年に一般社団法人ウェルク設立にあたり私が代表理事に就任しました。 

 外国人のみならず、日本人のDV被害者も増加する現状に大変憤りをおぼえています。社会的弱者となりうるのは断然女性が多いのです。何時になったら暴力被害にあう女性がなくなるのでしょうか。それには多くの人たちが関心をもつしかないと思います。 

 誰もが安心安全に生きることができる、暴力のない社会を目指してウェルクは活動に取り組んでまいります。 

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