多分野活動領域とつながるための第3回交流学習会

〜暴力防止のためのいろいろな試み〜(3)

児童虐待は子どもの人権問題の一番の問題

認定NPO法人チャイルドファーストジャパン 理事長
山田不二子さん

山田
 チャイルドファーストジャパンの山田です。チャイルドファーストジャパンでは、子ども虐待の防止活動を約20年やってきました。私の団体では性虐待と死亡率の高い乳幼児ゆさぶられ症候群(最近は虐待による乳幼児頭部外傷といわれる)、それに専門的に対応した予防プログラムを行っています。

司法面接という聞き取り方法
 性虐待を受けた子どもの言うことは立証できないので、門戸が開かないのです。子どもでも、自分の経験のしたことは発達段階と言語能力の範囲で話せることをわかっていただきたくて、司法面接という聞き取り方法を日本に導入して研修をしています。
 司法面接研修のなかで私が担当する講義では、アメリカの司法面接のプロトコルを日本語に訳して研修をやっています。その研修を受けた時に、衝撃的なスライドがありました。
「児童虐待は子どもの人権問題の一番の問題であって、社会が最優先で取り組まなければいけない社会的課題である」
 児童虐待は、児童相談所と警察と検察と医療機関という社会機能をもるスペシャリストが一致団結して世に問うことが非常に大事です。そのメッセージ性が極めて重要であるという内容です。
 日本で児童虐待の活動をしている方たちは、日本で一番重要な課題に立ち向かっているのだという意欲を持てているでしょうか。参議院議員に「児童虐待について頑張って欲しい」とロビー活動に行っても、「頑張っているのはよくわかるけれど、政治家にとっては、児童虐待は小さい問題なんだ」と言われたのが十数年前のことです。今でも忘れられません。国が一番の中心課題として取り組まなければいけないのに、わかっていないのです。

児童虐待と性犯罪
 私たちは、子どもが受けた被害を誘導せずに中立的に聞いていく技術を日本に導入して広める活動をしています。複数の子どもがある加害者から性虐待を受けている。大人は「止めて」と言えない対象なので、優位な立場にあることにつけ込んだ性加害です。海外では性虐待と言います。
 日本では保護者が行う行為だけが児童虐待であり、保護者以外が児童に虐待するのは児童虐待ではないという定義になっています。子どもへの性加害は、家族、特に保護者がやったものは児童虐待の対象ですが、家族でない人がやると性犯罪として扱うという問題があります。
 1人の加害者から数人の子どもが同時並行的に被害を受けていた場合、警察は1人を4、5回呼び出して、数時間同じことを何度も聞く。子どもは二度聞かれると、一度目は間違いで期待された答えをしなかったと幼いときから教わっている。だから同じことを繰り返し聞かれると、必ず答えを変える。信用してもらえなかったと誤解するわけです。
 日本の警察は、被害者の聞き取りも被疑者の聞き取りも同じ手法です。被害者は同じことを聞かれれば信用してもらえないと思い、変えてしまう。変えると警察は信用しないという図式です。
 再現実況見分と称して、男の刑事が加害者役、女の刑事が被害者役をやって、幼い子どもが受けた被害を再現する。子どもがそうだと言うのをビデオに撮って、送検する。2人の被害者がいて、それぞれの開示の内容に若干の齟齬があったというだけで、この事件は不起訴となりました。

「いつ」がないと事件にならない子どもへの性虐待
 子どもは自分がどんな被害を受けたかを言うのですが、それがいつだったか、何月何日と言えない。日本では刑事事件として起訴するためには、誰が誰に対してどこでいつどのようなことをしたか、つまり「いつ」がないと事件になりません。「いつ」が特定できないと被疑者が特定できず、えん罪を生む可能性があるからです。
 性虐待の一番困るところは同じようなことが繰り返されることです。100回性被害を受けたとしても、時が特定されるのが1回しかなかったら、この子の受けた事件は1回しかない。後の99回は情状酌量の部分で事件ではないのです。
 先進国では性虐待罪があって、ある加害者とある被害者の組み合わせでできたら、時が特定されなくても加害者が繰り返しやった性虐待全体として1つの犯罪とみなします。日本は100回受けたうち、時の特定されるものだけが事件であって、特定されないものは被害であっても事件ではないのです。
富山で10歳と14歳の姉妹が、母親のボーイフレンドにホテルに連れ込まれて強制猥褻を受けた事件がありました。ホテルが現場ですから日時も部屋も特定できます。妹が10回くらい、姉が十何回か被害を受けていて、全部特定できているので全部事件になります。
 ところが家庭のなかでは、内容も同じようなことだけれど微妙に違っている。家の中で被害を150回受けていても日時を特定できたのが1回しかなかったら、この子の受けた被害は1回なのです。これは社会正義ですか、と申し上げたい。

西田
 ありがとうございます。それぞれの立場からお話しいただきました。ものの見方、社会のニュースを見る時、読んだ時、情報は1つの参考であり、社会課題を皆で解決するための解説がとても大事だと思います。自分が取り組んでいる問題については皆詳しいけれど、専門以外や、自分の環境にないテーマについては、どんな専門家の研究者やお仕事に従事されていても、わからない面は多々あるのが当然です。特に暴力の問題等は、外からは見えにくく、理解しがたく、現象の背景は可視化しにくいようです。しかし、様々な社会課題の背景にはつながるものもあります。抑圧や支配は、暴力という水脈につながる問題です。科学技術が発達したことによって、これまで認知されにくかった脳や心理的、生理的被害について、かつてより実証しやすくなったものも多くあります。

おかしいことを「おかしい」と共有できる社会に
 性的被害がいつどこでというのは、当事者には大変な問題ですが、これまでは二次被害や多大なストレスにさらされることを本人も周りも恐れてきました。このような繊細な個人のプライバシー侵害に関わるテーマの取り扱いは、専門家でも、机上専門性だけでなく経験としての訓練も必要かと思います。
 出会い頭に危険や違和感を感じて、個人的感覚を明確に言えるでしょうか。ストーカー的存在やどうもおかしいような感覚を実証しにくい状況ではレポートできず、事件になってから公的機関は動きます。社会全体で、少なくとも「これはおかしい」「問題である」ということを共有していくことが「未然予防」になり、「人格育成」の規範としても重要であるかと思います。専門家に任せ主義でなく、社会全体で、「おかしいこと」をいろんなコミュニティーの中で共有したいと思います。社会課題をいろんな角度でこのように意見交換していく「場」があるといいですね。
 「ものの考え方」は個人も組織も社会定義に大きく影響を受けています。昔は家庭内の問題、私ごとの問題はプライバシーと、公的政策から切り分けてきました。子育てや介護や障害など、ようやく個人が抱えている課題は社会の問題ととらえる気風が出てきました。社会問題を考えるときには、その現象の背景を、歴史的・文化的・社会構造や周辺にも関心をもち深く洞察するころで見つめていきたいものです。

政策提言や世論形成、社会課題解決への具体的なアプローチの再考を
 私の経験から、これまでの取り組みを少しお話しさせていただきます。政策提言や社会課題解決や世論形成へのアプローチを取り組む時に、まず、課題のテーマで現状がどのような状態か、またどんな社会背景があったか、年表に洗い出しました。良い悪いという正義判断ではなく、どんな事実がどうつながって、社会の人たちがそういう問題に関心をもったか、無関心のままなのか。例えば、「社会的配慮が必要な子どもの問題も、長年マイノリティ問題として社会全体では関係者や専門家がちゃんと取り組んでいるのではないかという傍観者の立場であったのかもしれません。でも、政策提言や世論形成、社会課題解決など具体的にどんなアプローチがあるのかを再考していくことが重要です。
 例えば、個々のメンバーが、社会を良くしたいという時、どういうアプローチがあるか。長く当事者に関わる現場に精通した方からの実態整理、現状実態を伝えたい対象ごとに理解されやすいように説明を明確しておく。例えば、メディアや治部さんのような発信される方々への実態情報提供をする場を数多くこなす。武石先生や山田先生のように研究者や専門家の方々との意見交換の場に、多くの異なる分野の方々に参加していただく。多様な分野の方々が共通認識を持ち得ることで、社会課題への輪が広がります。そして皆さんがそれぞれ関わっているなかで、研究の場で議論になり、記事になり、国会での質問となり、政策になり、社会課題への取り組みが可視化されていくのです。
 戦後、女性の仕事があまりなかった時に、私の母は「職場」と「住まい」と「相談する人」を提供することでシングルマザーの自立支援をしていました。母がサポートしていた方々が、「仕事があったので子どもを大学に出せた」と喜ばれていました。当時と比べ、今の行政サービスの方がずっと進化していると思います。しかし、公的サービスの名目の充実は分野ばかり複雑化しています。人間が自立するよう社会全体が支えあうコミュニティー自体も消え、地域での人と人のつながりが薄らいできた中で、社会課題を抱えた人にはどんな状況なのか。研究者対象、支援者側、行政側からでなく、現場環境やサポートが当事者にとって自立支援や課題解決に近づけるかを再考できるといいと思います。

専門性と気風をつくること、世論形成すること
 90年代後半、DV被害者支援に関する政策形成を望む友人がいました。また2000年半ば、友人がDV被害者支援活動を始めたので、ウェルクとのご縁をいただきました。実は私は、2003年から、某財団常務理事として、母子問題に着手しようと考えましたが、当時はまだ母子問題は社会問題と捉えられていないので、「男性のワークライフバランス」として男性の側からとらえることにしました。当時経営の神様として注目されていたカルロス・ゴーンさんや男性が注目しそうな外資系の男性を「男性のワークライフバランス」の切り口で応援団としてメッセージいただき、キャンペーンを行いました。ゴーンさんには「これは最も大切な事業です」と共感いただき、素晴らしい応援メッセージをいただき、「男性の家庭参画」「イクメンブーム」の牽引を果たしました。
 また児童福祉法改正への世論形成は、前塩崎大臣へ働きかけました。社会は個人個人の編成で成り立ちます。子どもの問題を放っておけば社会課題になります。その問題を皆で考えることは、自分たちの未来をつくることだと、繰り返し国会議員に訴える場を数多く重ね、また各団体や若い方々を巻き込むNPOなど幅広い方々へのアプローチに取り組みました。「こういう問題が大事だよね」と幅広い分野の方々の現状認識と専門性と気風をつくり、世論形成をいたしました。
 同様に、今回のテーマである非暴力社会を目指すためには、寛容性という人間の外的スキル以上に、非暴力な生き方の規範を提供していくことが若者たちの未来社会のためにプレゼントしたい取り組みだと思います。次世代の子どもたちに贈るのは、私たち自身が少しでも、できることから「やってみる」ことから「変わろうとする」取り組みが続くのではないでしょうか。
今日は、ゲストスピーカーもさることながら、会場の皆さんからの率直に、こんなことを思っていたという意見を聞いていきたいと思います。DV被害者支援に現場で長年活動しているウェルクの方、いかがですか。

ウェルク
 私たち日々の支援活動に汲々として、外に広げられない。安全第一なので加害者である男性と一緒にやることをしてきませんでした。武石先生と一緒に、DVの問題に男子学生に関わってもらった時、「男性の被害者のことをやりたい」という男子学生がいました。
私が支援している団体のステップハウスに来ている子どもたちに会ってもらい、同行支援について行ってもらいました。実際の経験をすることによって、男子学生はすごく変わったのです。「本当に知らなかった、自分の問題もある、自分自身の家庭もそうだったかもしれない」と。
私たち支援者は、ここから先は危険、男性はまだまだ無理、と制限していることが多い。そこを解き放って、一緒につながっていかないと変わらないと思います。今日も男性にご参加いただいていますが、もっと積極的に一緒にやろうと、特に若い人たちに声をかけたいと改めて思いました。


サイト内検索