多分野活動領域とつながるための第2回交流学習会

〜暴力防止のためのいろいろな試み〜
社会福祉におけるイギリス最新情報と日本の課題/
スウェーデンの取り組みと男性のための危機センター(4)

決め打ちの支援の限界
 さらにすごく複雑な背景があって、今日のソーシャルワークにおいて理想とされている支援の仕方でもあります。この2つの条件を満たすもの、クリアするものという言い方をするのは、そうでない支援の仕方があるからです。先ほど言った「決め打ちの支援」というタイプのものです。決め打ちの支援のポイントは、問題を明確にする、自殺だったら死ななければいい、死なないようにするためには鬱をなんとかすればいい。目標や手段、原因の分析に関する単純化を行うのです。これは近代的な様々な生活支援の場で圧倒的な基本になっていて、社会保障もそうですし、行政組織がそういうつくりをしています。
 さらに公衆衛生は疫学をベースにしたものです。疫学は、肺がんが本人の人生にとってどういう意味をもつかは人それぞれで、わからない。肺がんで死ぬより肺がんで死なない方がましでしょうと言われると、そうかもと思ってしまう。ではそれをゴールにすればいいじゃないと、問題を単純化するわけです。肺がんのリスクファクターは無数にありますが、メインキラーは何かと探すのです。タバコを止めさせればいいと、問題を決め打ちしていく。単純な方法、単純な目標であればあるほど、多くの人に一遍に働きかけることができるからです。たくさんの人を一遍に救ってあげられる。
 特に戦後の社会保障、貧困対策としてスタートした時点においては、それは非常に効果がありました。元手さえあれば、仕事さえあれば生きられる人たちがたくさんいて、元手と仕事を供給すれば、多くの人たちはそこから脱出しすることができた。統計的に見ると貧困率や生活保護率が下がるといった様々な効果が出ています。
 ところが、同じような貧困の人の中にアルコール依存の問題がある人がいると、お金を渡すとお酒を買いに行くので、支援にならないわけで、こういう人が取り残される。でも、統計的には有意に効果が出るので、政策として成功だと評価する。この流れで戦後長い間、支援しようとしてきました。
 暴力についても、とにかく暴力が減ればいいというアプローチをとって、人類史的に見れば減っている暴力をさらに減らせばいいとやろうとすると、このタイプの支援になってしまう。果たしてそれでいいのか。様々な傍証から言えることは、1970年代以降、社会保障モデルの効きが悪くなったという訴えがどんどん出てきたことです。私の言う生活モデル、ソーシャルワーク的な支援の仕方を一人一人に対してしていかないと駄目なのではないかという議論が出てきました。ここにおられる方々もそういう文脈のなかで日常の支援をされていると思います。

もつれた糸理論
 実証はまだ完璧ではないのですが、ロジックとしては大丈夫だと思うので、仮説を説明します。ここにもつれた糸がいっぱいあるとしましょう。ある種の複雑性をもっている状態で、生活に読み替えるのですが、その状態を単純な方向で解決しようと。
 紐の両端をもって引っ張ると、もちろんほどける糸もあるけれど、絡まってしまう糸もある。絡まった糸はもう使えないのでゴミ箱へ入れる。ほどけた糸をリサイクルボックスに入れてまた使おうと思っていても、糸は不思議な性質をもっていて、放っておくとまた絡まる。そうするとまたもつれた糸のスタート地点に戻る。これをエンドレスで何回転も回すと、1回転するごとに一定の割合でこちら側に入り、長期的に見ると全ての糸は最終的にゴミ箱に入ることになります。
 これを社会に適用すると、どうなるか。生活困難、貧困でスタートしましょう。単純化してものごとを解決しようとお金と仕事をあげると、脱出する人はいっぱいいますが、脱出できない人はアルコールに限らずたくさんいます。人数的にはマイナーかもしれないけれど、問題が解決しなくて、ゴミ箱を何のアナロジーと考えるかということはありますが、社会から取り残された存在です。
 解決しました、貧困から脱出しましたという人たち。人生はすごく複雑で個別的だということのもう一つの含みなのですが、とても複雑なものの中で生きていることは、綱渡りのように危ういバランスの中で生きているということでもあります。何かちょっとバランスを崩すだけで、人は生きられなくなる。
 皆さん、引っ越しは何の不便もなく引っ越せると思います。7歳や10歳の子どもに「明日引っ越してこい」と行っても引っ越せない。認知症のおばあちゃんが引っ越すと、すごくネガティブな問題がいっぱい起きてしまうのは、高齢者福祉の領域では常識です。ちょっと何かが足りないだけで、あるいは条件が欠けるだけで、生きていけなくなってしまう。「毎日退屈だ」「代わり映えのない一日を過ごしている」と言う大学生の生活は、よく見ると全然違う一日なのです。すごく多様で個別的ですが、それをスキルで同じ日のように処理できてしまう。
 ある種の障害をもった方たちは、毎日を生きること自体が大きな挑戦になっています。何かが足りなかったり難しかったりするからです。糸がほどけた人たち、貧困から脱出した人たちは、何らかのきっかけでまたこちらに戻ってしまう。生活が困難になるリスクから最終的に解放される人はいないわけです。エンドレスでぐるぐる回すと、最終的に皆、こちら側に行ってしまう。何割か、どれくらいの確率か、どのくらいの割合で振り分けられるのか、実態によって結果のバリエーションは出ますが、基本的にはこちらに行ってしまう。
 もはや単純な方法では、単純な支援のあり方では、支援にならない人たちの群れです。さきほど「よりそいホットライン」の数字を紹介しましたが、膨大に溜まっている人のなかにDVや暴力の被害を受けている方たちも、1つのバリエーションとしているわけです。
 要するに、やればやるほど効きが悪くなってくる。単純な方法で解決できる問題は早い段階でやり尽くしていて、後に残されたのは、すごく複雑で個別でゴールの見えない背景を抱えている方たちです。この人たちにどういう支援が可能か。一人一人に寄り添い、複雑さに付き合っていくことを中心に考えなければいけないはずなのです。そういう方向に向かって社会を、支援の文化を変えていく必要があるだろうと思います。
 これは私がそうすべきだと言っているのではなく、そういう方向に行かなければ、これから先の支援にならないということです。DVへの支援であろうが暴力に対する支援であろうが貧困に対する支援であろうが無戸籍児童への支援であろうが、問題の構造は基本的に同じです。一人一人全部違うのだけれど、違っていてゴールがないところは皆同じです。

共生社会論
 今進もうとしている方向は、共生社会論のような流れです。国がやっていた社会保障にある種の問題を解決するような社会保障モデルのような事業の集まりは、縦割りではもう駄目だという議論です。ここまでは厚労省のなかでほぼコンセンサスになっています。僕はミスリードだと思いますが、注目を浴びているのが地域福祉です。地域福祉はすごく大事だけれど、ゴミ屋敷の問題を皆で解決しよう、孤独死防止の見守りをやろう、近所で問題を発見して地域力で解決することを推奨する方向に行っています。できるならやったらいいし、間違いではないのですが、こういうことが起こるのです。
 孤独死防止の団地の見守りを町内会長がすることで、「良かった、これで安心して生きられる、暮らせる、夜寝られる」という人たちはもちろんいます。けれどもその背後に「監視されている」と思う人たちが出てくる。「また監視しに来やがった」と。その時に、その人に対してどうする必要があるのか。「あなたはどういう暮らしだったら安心して暮らせるのだろうか」ということを本人は自分では見つけられないのです。寄り添い的に一緒に考えていく、本当に答えが見つかるかどうかわからないけれども、一緒に考えることが支援に必要な生活モデルになっていくでしょう。
 ところが、町内会長はそこまでできない。こんなに一生懸命見守りしても、「監視している」と言われる。何が問題かというと、問題解決型の支援の集合体であることは変わらなくて、その限りでは縦割りのままなのです。人がぼろぼろこぼれ落ちていくことは変わらないのです。

寄り添いのベースになるエンパシーに関する研究
 では、どうすればいいか。今の政策はここまでです。こういう方たちは地域につながっていくことがそもそも難しいのです。その時に寄り添いがついて一緒に支援していって、地域につながることができると、地域が多くの問題を考えるモデル、基本形になるわけです。
 そういう方向に向かって社会をつくる。皆さんはおそらくこのポジションの近いところにおられる。暴力の被害は地域と簡単につながれない。どうやって輪を広げていくかということが、すごく大事なポイントになると思います。
 ただ、全体として見た時に、資源として何を調達するのが一番大変か。従来の政策的な思考では「ここまでできない、もれる人が出てもしようがない。生存権と言っても絵に描いた餅になる、我々の社会の限界なのだからいいことにしようよ、すみません」という話になってしまう。けれどその結果として、膨大な生活問題を社会の中に残している。これにチャレンジしてこそ我々の次の時代の福祉だとすれば、これに入って行かなければいけない。
 寄り添いをどうやって強化するか。寄り添いのベースになる感情として、研究が盛んになっているのはエンパシーに関する研究です。15年くらいの間に非常に大きなボリュームになりました。エンパシーという概念は、皆が議論するようになってだいぶ散漫になっていますが、そういうものが必要なんだ、市場メカニズムのように利己心をベースとする社会が回るという幻想は終わりなんだということ自体は、だいぶはっきりしてきました。
 エンパシーの研究のなかではっきりしていることは、基本的には皆そういう感情をもっている、しかも育てることができるというのが発達心理学です。皆もっているというのは進化生物学から出てきていることで、サルが人間になってからずっとあるものだということがわかってきています。ただ、利己心や不平等を嫌う感情、非常に強い感情にエンパシーはかき消されがちです。人々がどうやって行動として示せるようになるか、そういう文化をどうやってつくっていくか。それができないという話になると、究極のニヒリズムになってしまいますが、できなくはないでしょう。
 初等中等教育で、困っている子どもの話の聞き方を学ぶことを、スクール・カウンセラーを軸にしてもいいですし、道徳の時間に入れてもかまわないですが、そういうものを形にしていく。今、小学校の教室では困っている子どもの話を一生懸命聞くのですが、何か問題を抱えているのだろうと問題を探してしまう。「おまえの問題はそういうことだから、こうすればいいじゃない」とアドバイスする。これは問題解決的なアプローチで、実は寄り添っていない。このやり方だとSOSを出した側は、「そんなことを聞きたかったのではないのに」と思う。それが何度も繰り返されていくと、自分の周りに味方が誰もいないことを学んで、ある種の非常に困難な育ち方をします。
 その方向を変えていくなかで、「自分は困っている人の話を聞くのが得意なんだ」ということに気づく人たちがたくさん出てくる状況があります。将来プロフェッショナルになろうと。今、対人専門職はたくさんいて、こういう人たちがソーシャルワーカー的な素養を学んでくれるのも大きいです。

寄り添いに対する経済支援
 寄り添いができる、あるいは向いている人、素質のある方は必ずしもその分野のプロに限られないわけです。プロの中には向いていない人が大量にいます。向いている人、向いていない人でスクリーンして資格を与えているわけではないからです。学科に合格した人、実習を受けた人に資格を与えているだけですから。逆に資格を持っていない人のなかに、隣のおばさんなどにそういうことができる方がたくさんおられる。
 この状態はどういう状態かというと、「メリトクラシー以前」という言い方ができます。メリトクラシーは、もともとは能力主義のことです。江戸時代の身分社会では、血筋で自分の社会的地位が決まった。そうではなく、能力がある人間が社会の上にのぼりましょうと。エンパシーや寄り添いということで言えば、能力のある人たちが社会の表舞台に出るような社会的装置がない、できていない状態です。
 活動されている皆さんにはお金がないですよね。なんでお金がないのだろうと不思議に思いませんか。支援している人を評価して、お金をつけていく社会的なメカニズムが、この社会に存在していないからです。それはつくれると思います。寄り添いができる人たちにお金をつけていく。小さな活動をしている人たちはいくらでもいます。その人にお金をつけることで多くの人たちをカバーし、寄り添いが資源的に足りないことから端を発するニヒリズムを回避することができるだろう。そういう方向に向かって社会が変わっていく。

新しい社会システムを
暴力や貧困の問題は非常に似ていると思います。数が減ったから重要でないという話にならない。1つ1つのカテゴリーを見てみれば、すごくマイナーで人数が少なくて、場合によっては1人しかいない問題かもしれない。けれども全部合わせてみると巨大な社会問題になる。そういう状況のなかを僕らは生きている。だとすれば、支援のあり方も、様々なタイプの同じ志をもっている支援者との連帯こそが本質になってくる。それによって新しい社会システムをつくっていくことが本質的になるはずなのです。そういう方向に向かって進んで行かれるのが、私の議論から考えると合理的に見えます。これが今日皆さんに示したかった地図です。

西田
 ありがとうございました。今、先生がおっしゃった寄り添いの形の構造が、かつて形成されていた時代がありました。江戸の中期前、災害が起きた時にどういうふうにして互助をつくっていったかというと、相互扶助としての支え合いというところ。領地があって徳川江戸があって、経済の一番の基盤は米をつくる農民だった。その人たちがどうやって経済発展をするか。領土拡大、開拓、干拓、開墾という形をとった後に、自然災害が来ることによって、あらゆるインフラやマンパワーが欠落していくわけです。その時に、農民たちが自ら自助努力をしていく。
 日本の場合、明治のプロパガンダによって「暗い江戸」と教えられていますが、実態はそうではなく、江戸のそれまでの積み重ねなく新しいことなどできません。農民の統括マネージャーだった庄屋や地主たちがものすごい努力をしていく。農民自身が学ぶために指南書を書いて、後世に同じ苦労をしないように上書きしながら、実体実学を変えて共有することによって写したり、印刷したりしながら、農民たちが自ら学力を身につけていくのです。
 統治が進化していくこと以上に良かったのは、次元の高い遊び、楽しみを覚えていったことです。連歌、俳句という活字文化。そしてお金がかからない。前頭葉を使う生き方を江戸の人はやっていたという事実があるのです。勤勉である、努力をする、創意工夫をするという日々の重ねのなかで、秩序ある社会となり、明治の終わりに外国人たちが「なんてこの国は」とレポートしています。今のところ財布が落ちていても出てくる国ではないかと思うのです。
 互助、助け合うことは運命共同体です。今は、運命共同体になっていなくて、皆サラリーマン化している。連携がとれていないので仕組みが崩壊している。今まではちょっと経済困難だったら誰かがサポートしていたのが、つながりが消えた社会。明治150年、「明治の夜明け」と言っていますが、暗闇なのにかかわらず夜明けという無知な、実体に基づかないこの国のアナウンスは何なんだろうかと思うのです。
 そういう時に社会福祉が、どういう営みが人間の補完しあうようなものがあったのか。ロバート・パットナムがコミュニティの崩壊がもたらす危険を指摘しています。人間関係がきちんとしたコミュニティが形成しているところは、いろんなものに取り組むことができると、社会実験で実証されていますよね。

猪飼
 家族あるいは地位社会は、福祉の大きな資源としてずっと存在してきました。人間の集団性、集団で生きる存在である間を通じてずっと存在してきたものだと思います。それはケアリバーとしての本質的な機能をもってきていて、江戸時代もそうですし、都会は別ですが、今日でもある程度そういうところがあります。ちょっと田舎に行けば、農村共同体みたいなものが解体寸前だけれど、まだぎりぎり残っています。
 他方で、家族と地域共同体を合わせて共同体的なあるものをくくると、これには暗い側面もあります。共同体の基本原理は何か。特に地域共同体的な集団では、義務を果たしたものだけが平等なメンバーシップを得られる。嫌われ者、義務を果たさない者、風変わりな者である人たちは、そこから漏れていくわけです。そういうカテゴリーに弱い人間を押し込めて、暴力は今よりもはるかにあった。共同体が問題であることもあり得るのです。家族によって支えられる側面がありながら、家族が問題であることも至る所に存在しているのです。これはある意味しかたないことなのです。それ以上のことはできない、皆そうやって生きるしかない、皆我慢して生きるんだということになります。

西田
 私の実家は土地に代々住み続けた地主の古い家でした。コミュニティの中で一門の長として取り組んできた家でした。家族が問題、社会が問題と言うのですが、昔はそれとセットで宗教がありました。良い意味での関わり合いのある社会だからDVがやりにくい社会だったかもしれません。複数の目があることと、社会が子育てをしていく時に周りに相談や、今のメンターのような存在やロールモデルがありました。
 よく社会学者の方は抽象的なことをおっしゃる方もいますが、どこの自治体で何を調べたんですか、古文書でどの地域を調べた事例でしょうか? 価値基準を西洋的にご覧になったら日本の事実も異なって解釈されます。日本の封建制度とは全く違うロシアやドイツの封建制度として、日本の歴史を語られても困ります。私は事実に基づいて、人間の営みの良いところ、悪いところ、今日から見たらしんどいかもしれないけれど、地域や家族が運命共同体で育った時はどうだったのか。価値観は違いますから。西洋的なもの見方だけで、お仕着せてきたような論理の破綻が今来ていると思います。
 会場の皆さん、お二方の先生にご質問、ご意見など、どうぞお願いします。


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