多分野活動領域とつながるための第2回交流学習会

〜暴力防止のためのいろいろな試み〜
社会福祉におけるイギリス最新情報と日本の課題/
スウェーデンの取り組みと男性のための危機センター(5)

《以降、参加者からの質疑応答など、抜粋》
質問
 この国にすごく訴えたいのは、国の社会問題、生活の問題は行政のやりたい放題だと思います。正義が守ってないのです。日本の法律は子どもの権利を認めない、意志も認めない、子どもが保護されても、実の親と面会させる。親に返せない場合は養護施設に入れ、里親を探す。政治力で動けない行政を(どうしたらよいか)皆さんにうかがいたいのです。

伊藤
 猪飼さんがおっしゃったように、日本では社会保障モデル的なスタイルで今までやってきて、縦割りで、複雑な個々の問題に対応してこなかった日本の行政システムの問題がここにも表れているというのは、その通りだと思います。それは変えなければいけない。
 その場合、子どもの問題から避難所の問題から全部考えながら対応するというのが、寄り添い型のスタイルだと思います。それが十分ではない。こうやれば画一モデルで解決するという考えで進み過ぎている。問題は個別的で複雑なのです。法律は大まかな法律でしかにことも問題です。外国人の人権についての法律は、韓国の方がはるかに優れている。法律と実態の問題はまた違うと思います。

猪飼
 私が今扱おうとしている問題と重なるお話だと思います。
 2年程前に、厚労省の母子保健課が、乳幼児検診の最後に面談の時に母子保健課が「子どもを殴っていないかお母さんに聞け」という通知を出そうとして、保健師が猛反対して大問題になりました。DVや幼児虐待をできるだけ早く見つけて子どもを保護するという発想だったのです。子どもの利益だけを考えれば1つの道筋ではある。ただ、虐待しているお母さんは幸せなのかというと、全然そうではない。児童相談所に通報すると、保健師はお母さんを支援対象にすることができなくなるので、保健師のグループは反対したのです。
 実は被害と加害は表裏で、抱えている問題も金太郎飴なのです。全体として支えていくようなメカニズムをつくらないと、被害者だけを取り出して何とかする方法では、我々の問題に立ち向かっているとは言えない。そこの地点から見ると、今の直面された問題は本当にレベルの低い話なのです。

伊藤
 加害者が暴力をふるわないようにするプログラムがアメリカで開発されたのですが、効果がないと言われています。長期間やって、効果が継続するケースは15パーセントとか20パーセントとか言われています。
 アメリカ型はわりと画一プログラムでやるのですが、スウェーデンは個別性をそれなりに配慮しながら男性の抱えている個々の問題を解決しながらやるところがあるようです。猪飼さんは自殺の話をするときにライフリンクの数字を使っておられましたが、暴力をふるう男性の背景にはいろんな要因が重なっていて、それを調べた上で対応すしなければ、「男らしさに縛られているから暴力になる」というだけでは解決しない。リストラや家族関係のストレスのなかで暴力が生じているわけだから、男性の抱えている悩みの個別性、複雑性に目配りしながら、それを越えるプログラムをやるためには、寄り添い型をやっていくことが必要なのではないかと、改めて思いました。
 ただ、スウェーデンは手放しで褒めるほど完璧に良い国ではありません。DVをふるっている男性が子どもの養育権をとってしまうケースも結構あるようです。問題を抱えている状況を踏まえながら、少し前へ進んでいくことが必要なのかなと思います。
 被害者支援をやっておられる方たちは、猪飼さんのおっしゃる生活モデル型でやっている方が多いと思います。個別対応したら無理なので、寄り添いという形でやっておられると思います。加害者の問題を考える時も、その辺の視点が必要なのかなと思います。
 最後にケアリングの話ですが、学校教育で共感能力を高めるという話をする時に、身体や生命に対する配慮の力をどうやってつけていくかは、教育の仕事かなと思います。大きくなってからもケアをするなかでそういう力は身についていくでしょう。男性向けのエンパワメント、ケアリングの力、ケアされる力をつくることも加害者防止に連動していくのではと思いました。

猪飼
 私は政策学者で、政策学は目の前の当事者を支えるのではなく、当事者が壁にぶつかっている制度や社会の仕組みと闘うのが仕事なのです。本当に古い、社会保障をどうするかというレベルで、まさに縦割りで、「それは私たちの支援の範囲外です」と、当事者の苦しみをはねつけてしまうような制度を見直してこなかったことは、アカデミズムの責任が大きいと思います。
 ここ何年か今のテーマに関わるようになって、アカデミズムは怠慢だったという認識をもつようになりました。それに向かって仕事しなければいけない。今の苦しみを僕が取り除くことはできないけれど、そういう社会をつくっていけるように私なりに努力しようと思っています。

西田
 ウェルクの方は、現場の様々な困難な問題対処でいろんな問題を取り組まれてきました。個人の問題に追いやられないように、いろんな問題がつながることによって社会を変えていかなくてはいけないと思って、この会をやっているのです。政治家では動かない、人々の考え方を変えることで変えていくためには、世論を動かすことなのです。個人の問題でなく皆の問題にするために、会を続けていこうと思っています。

猪飼
 伊藤先生のお話の男性危機センターの活動の実際のところで興味深いのは、男性の45パーセントが暴力問題の解決に来ていることです。けれどもその人が抱えている問題はもっと複雑で、そこをやらないといけない。非常に勉強になりました。
 私はコミュニティが重要ではないと言っているわけではなく、コミュニティの重要性ははっきりしていますが、今、地域で支え合いましょうと言った時に、地域が皆、壊れてきているのです。政策が自助・互助・共助・公序というモデルを出して、壊れつつあるものに対して寄りかかろうとしているので、うまくいかないはずです。
 私は寄り添いやエンパシーだと言っていますが、そういうものは人と人を結びつけていくものです。それによってコミュニティを再生する。コミュニティを道具として使うのではなく、ケアの文化を育てることでコミュニティをつくる。壊れてきているコミュニティをつくるという方向での政策立案を考えなくてはいけない。方向をあべこべにして、まだ寄りかかれるのではないかという政策をこれ以上やったら、特に家族は壊れてしまいます。
 そういう状況を政策立案の方々、官僚のなかでもまだマジョリティとして理解されてないので、そこは大きな論点だと思っています。僕は西田さんと違うことを言っていないと思うのです。私の観点ではそこがすごく大事です。 ただ、コミュニティだけだと疎外が発生します。法哲学者の井上達夫が言っているように、国家と市場とコミュニティ、共同体がバランスをとる、この構造がすごく大事で、それぞれがそれぞれを必要としていて、どれかが突出しない形で上手につくることが必要になってくる。今壊れつつあるコミュニティが一番問題で、これをどうするかとならないと、市場と国家だけでなんとかしないといけない社会になってしまって、うまくいかないのです。

質問
 「あなたは苦しいと言っていい」「あなたは辛いと言っていい」「あなたが暴力を振るってしまうことに悩んでいることも言っていい」というのを日本の社会でやるとしたらどんな方法があるか、うかがいたいです。

伊藤
 僕は第三次男女平等参画基本計画の時に公的な男性相談という形で提案しました。男性は相談するべきではないと思われてきました。公的な機関が男性相談を出すことで、「男性も相談していいんだ」ということの一歩になると思って提案しました。実際にいくつかの地方自治体では動き始めていて、相談に来て変化をうながされている男性もいます。
内閣府の調査でも、悩んでいる男性はものすごくたくさんいるのです。不安定な状態で悩んでいるのは間違いない。ただ、それを誰かに相談するかというと女性以上に相談しない、相談できない。身近な女性たちは「いつでも聞いてあげる」と言っているのに、身近な女性にも相談できない。だからこそ、公的に「男性も相談していいんだよ」というキャンペーンをやることが男性相談の提案の背景にあったわけです。
 スウェーデンの場合は、男性のレイプ被害者が1年間で38人と言われています。レイプの被害センターを男性にも開いて、今まで言えなかった男性たちが来ることになった。「男性も悩んで相談していいんだよ」というキャンペーンをどうつくっていくかということだと思います。

質問
 女性からのエンパシーが得られにくいのかなと思ったのです。せっかく勇気を出して自分の気持ちを言った男性が、誰からもエンパシーを得られなくて孤立することが起こってしまっています。そこがつながれば、Me Tooの問題も女性への性暴力の問題だけでなく、男性も性暴力始めいろんなハラスメントに悩んでいる仲間で、一緒に社会を変えられると対話ができるはずなのですが。声をあげた男性へのエンパシーの少なさを何で乗り越えればいいのでしょう。

伊藤
 基本的には、男性の抱えている問題と女性の抱えている問題は違っているところもある。日本社会自体はいまだ女性差別社会だと思います。その構図を前提にした上で、悩んでいる男性がいる事実にも目をむけるべきだと思います。
 強制性交等罪ができて、今までの女性だけが対象だった法律からジェンダー中立な形に変わりました。この時、いくつかの新聞が、子ども時代に性暴力被害にあった男性たちの声を記事にしています。長い年月隠していた嫌な記憶が成長してからも彼らを苦しめています。このような性暴力被害を受けた男性の声を伝えていくことも、男性たちが無関心でいられる状況にひびを入れていくことになります。
いずれにしても、これまでの固定的なジェンダー構造にひびを入れていく方法を考えなくてはいけないと思います。ひびを入れて自分の問題として認識してもらえるようなスタイル。ホワイトリボンも、無関心な男性たちに自分の問題として暴力の問題を考えてよと訴えるキャンペーンです。いろいろな工夫をしながらやっていく以外にない。僕は30年やっていますが、なかなか男性たちに声が届かないのも事実です。少しずつでも壁が崩れ始めて、ある種の臨界点というのがあって、たとえば2割くらいの男性がこの問題に自覚的になれば、わっと出てくると思うのです。

猪飼
 今のご質問に私からは答えがあるわけではないのですが、SOSの問題を考える時に、出す側が頑張らなくてはいけないのか、受け止める側が頑張らなくてはいけないのかという問題なんです。基本的に出す側は出せないのです。SOS教育が今少し議論になっていますが、これは相当難しいはずです。男性が言えないというのを変えるのは、伊藤先生が長年取り組んでこられた宿願でもあるとうかがいましたが、そちら側から変えていくのは相当難しい。アウトリーチが基本です。聞く側の方がどうやって入っていくかが一番大事で、そこが生活モデルの戦略的なポイントになるのだろうと考えています。

伊藤
 僕は30年くらい前に『男性学入門』という本を書いてちょっと話題になりました。けれども、男性問題についての社会の関心はあっという間に消えてしまった。今、もう一度次の波が出始めていると思います。それは20年前、30年前の男性が抱えた悩みとは違うかもしれないけれど、男性が問題を抱えていることについての認識は、20年前と比べればかなり広がり始めています。世界的にもそうで、そこから動きをつくっていく以外ないのではないですか。

質問
 女性を責めるわけではないですが、たぶん肝になるのは声をあげた男性を1人にしてしまう、女性も1人にしてしまうところがあるのでは?

伊藤
 そうでもないですよ。「男性も辛い」という話をすると、納得する女性の方がマジョリティではないかと思います。女子学生に男性の問題を語ると、女子学生の多くは「男もつらいよ」という話にかなり納得します。男性が言い出しにくいこともあるのだろうけれど、女性たちは聞く耳を結構もっています。

質問
 現在、システムや政策を模索しているなかで、男性危機センターが日本にあったら有効でしょうか?有効であればどんどんつくっていきたいと思っているのですが。

伊藤
 公的な男性相談の仕組みは第三次男女共同参画計画で書き込まれて、地方自治体にはあちこちでつくられています。スウェーデンほど動いてはいないですが、少しずつ各地で男性相談が定着しつつあります。関西方面では大阪府も大阪市も京都市もやっています。男性相談については僕が座長をやった「地方自治体における男性相談のマニュアル」が内閣府でつくられています。十分には知られていないですが。DVについても別冊で、DV加害者にどういう対応するかというマニュアルを2年くらい前につくってあります。
 日本は、制度はつくるのだけれど活用されない、使われない、誰も知らないという状態があります。もちろんスウェーデンほどしっかりしたものではないし、まだまだですが、自治体を中心にそういう動きがあって、加害者からの相談もあります。
相談の仕組みの工夫も重要です。たとえば、女性の相談員と男性の相談員が月に1回くらい交流しながら、男性の目線と女性の目線を重ね合わせながら議論して相談する方が有効だろうという提案もしています。男性の目線だけで見たら、どこか偏るし、女性の目線で男性を見たら偏るところがあるわけです。男性と女性の相談員が相互に話を付き合わせながら、男女が抱えている問題について共有していくようなプロセスが必要ではないか。
 男性のレイプセンターはまだです。女性のレイプセンターは一応ワンストップでつくられはじめているけれども、スウェーデンのようにキットをもっていてすぐに医者と警察に連絡するような仕組みは、まだまだ十分にはつくられていない。今、全国に41箇所設置されているはずです。今後も充実していく必要があると思います。

西田
 名目の法律は数々あっても、実態が伴わない。あらゆることがそうですが、法律ができれば良くなるわけではないし、未使用の法律はあります。世の中が社会の問題を関心を持って理解しながら見守り続けないと、つくられた法律も機能しないという現実。
ですから世論が大事なのです。皆が知っている、皆で共有する、実態をつくるのは社会全体がその問題を理解し現場で課題解決に働く人への理解と協力を惜しまない国民の存在なんです。誰かに「お願いします、こんなに言っているのに」というあなた任せでは実態はつくれないです。思った人が少しずつ、どんな小さい事例でも、事例の数をもった者が実態をつくっていくのです。
 こういった大変な問題は「わかって欲しい」という怒りをこめた集団になってしまうと、社会から重いテーマから教理をお枯れ気味。そうではなく、前に進むため課題解決のためにどうしたら助け合えるか、どうしたら共通点があるのかと、小さくてもいいからパイロットケースをつくるためにも、理解者と協力者一人でも増やしたいですね。そのことが変えていくことにつながります。
 乳児院と養護施設、ゼロ歳から10歳で1億1000万というがデータを、先ほどの方が4年前にお教えくださいました。それをもって議員に話しました。1億1000万のコストを使って、その後社会保障を使う人間をつくっていていいのか。「法は人を見て説け」と言います。政治家が「ああ、そうか」と思うような言い方をもっていくことが大事なのです。
 性的被害について、政策をつくる人は、被害者の悲惨な状況を聞き調べはしても現場からは遠いフィールドを知らない人たちです。その人たちにどう言ったら「これはいかん」と思える伝え方ができるでしょうか。そういうことをそれぞれの立場から、経済の切り口もあるでしょう。人権という国際的に問題であるという切り口もあるでしょう。
今、ACEAN諸国がどんどん経済活性するなかで日本は遅れた国になりつつあります。日本ではバブルの余韻が残っている50代以上の男性が経済をにぎっているのです。例えば経産省はビジネス経験のない人たちで、金融がどこにお金をかけているかも知らない。でも、なんとかこの国の問題を解決したいと躍起になっています。これまでの人口増で経済を支えてきたシステムとは異なる少子高齢化のあらゆることが、これまでと異なる課題が山積みになる時代です。国がなんとかしてくれると思っても、現場に何が起きてどんな実態があるのか、どう対処したらいいのかは、現場しかわからない。だから小さい実態でもいいから、こういうふうにやって良かったね、こういうことができたということを、政策を考える人たちへ伝えていく必要があります。それを後から調べるのは学者です。
皆さんは実態をつくる場にいらっしゃる。だからつながりましょう。社会課題は必ずつながっているので、それぞれの知恵の出し合っていきたいと思っています。皆がつながり合うことで、社会課題を共有しながら互いの経験智を共有していくことから解決の糸口も出てくるかもしれません。社会を変えるのは霞が関や政治という幻想から脱却し、現場から少しずつでも実際の取り組みの事例の中での取り組みや情報を活かすために、霞が関や政治と共にムーブメントを創りましょう! 今日はありがとうございました。


サイト内検索