多分野活動領域とつながるための第2回交流学習会

〜暴力防止のためのいろいろな試み〜
社会福祉におけるイギリス最新情報と日本の課題/
スウェーデンの取り組みと男性のための危機センター(1)

日時:12月19日(火)16:00〜18:30
会場:衆議院第一議員会館 地下 第一会議室(東京都千代田区永田町2丁目2番1号)


ウェルク
 私たちウェルクは、被害者支援をしている団体の連携団体で、現場の支援を主にやっています。行政の仕事をやりながら、こういうボランティアの仕事もやっています。今回、もっと世の中に知らせていきたいという目的で、世論形成の専門家でいらっしゃる西田さんにお願いして、多分野の領域の方々をおよびして、どうしたら皆に関心を持っていただけるかと、始めています。
 10月1日のシンポジウムから始めて、11月に第1回交流学習会、今回は2回目、1月25日が3回目です。シンポジウムの内容はウェルクのwebにアップしていますので、今後この事業が続いていく流れをつくっていきたいと思っています。ぜひ皆さん、活発にご発言をいただいて、広げていっていただければと考えています。それでは西田さん、お願いいたします。

次世代社会研究機構代表理事
西田陽光さん

 民間のDV被害者支援団体の皆さんはシェルターとして長い間活動をしておられ、熱意と志をもったご婦人方の活動としては大変敬意を表しています。ただ、高齢化していて、被害者のプライバシーを守るという善意の気持ちであったのでしょうが、次世代につながっていなくて、もう少し協力者や社会全体に協力を訴えていかないと今後なかなか厳しい状態にきています。
 社会的課題の世論形成をする時、例えば母子問題の時には、男性のワークライフバランスによって家庭の問題は個人の問題ではなく社会の問題であると、シフトしました。そのことによって少し動きができて、母子問題も動くようになりました。
 DV被害者の背景には貧困など様々な問題がありますが、DV被害者だけとくくると、なかなかつながっていかないし、力になりません。大変センシティブな問題であるので、今までは男性のゲストを呼ぶこと自体を拒否されそうな雰囲気もありました。猪飼先生は私の長い友人、私の後見人のような方です。伊藤先生は性的な問題、ジェンダーの問題に関して30年間、内閣府等で役所に働きかけてこられ、私たちのパートナーとして信頼できる方です。
 大学でデートDVの問題で活動している学生たちが、今日は就活で急遽来られなくなったのですが、毎回来てくれています。いろんな形の暴力に対する防止、非暴力の活動のプラットフォームにつながればと思っています。
 日曜日に児童福祉法改正による子どものアダプションの問題で集まりをもちました。児童相談所の中にある暴力、望まぬ妊娠の背景にお母さん方が受けた暴力、どの社会問題でもそういった問題が紐づいてしまう。いろんなところでこの問題に取り組んでいる方々ともつながって協力しあうことが、改めて大事だと思います。
 それでは伊藤先生、よろしくお願いします。

男性対象のジェンダー政策の可能性
――スウェーデンの事例を参考に

京都産業大学客員教授、京都大学・大阪大学名誉教授
伊藤公雄さん

男女共同参画社会の必要性
 今年の春に京都大学文学部を定年退職して、4月から京都産業大学で教えています。テーマは社会学で文化や政治を対象にする研究をやってきました。1970年代の末、イタリアのファシズム研究を進めるなかで、ファシズムと男性性を研究テーマのひとつにしました。ファシズムの背景を探ると、男性性の強調の文化があることがわかったからです。
 そこから男性を対象にするジェンダー論を研究テーマにするようになりました。
 1990年前後になると、日本でも女性政策が動き始めます。当時、まだジェンダーという言葉は広がっていなかった時期です。この時期、男性の立場からの男女平等をということで、政府や地方自治体の男女共同参画政策に関与するようになりました。
 2015年に男性の非暴力の国際運動、「ホワイトリボンキャンペーンジャパン」を立ち上げて、3人の共同代表の一人として活動しています。男性が被害者になり得る場合も見落としてはならないのですが、基本的には加害者男性をどうするかということが中心的な課題です。今日は、男性被害者、加害者双方の視座からスウェーデンでの調査の結果を中心にお話ししようと思います。

男女共同参画社会がなぜ進まないのか
 男女共同参画社会の必要性は言うまでもないかもしれません。1970年代くらいから人類は男女平等に本格的に取り組みます。1970年代以降、人権と環境問題が国際社会の共通課題として広がっていきます。なかでも女性の人権は重要視されるようになります。戦後、国連は、女性の人権は世界最大の人権問題だと一貫して主張しています。人権と社会的公正という問題の一方で、現在では女性活躍の議論もあります。女性の参画がないと社会が活性化できないという議論も大きく広がり始めているのです。ダイバーシティが組織や社会の活性化を産む、男女共同参画が社会の活性化につながるという議論も大きなテーマになりつつあるわけです。
 さらに家族やコミュニティも大きな課題になっています。人間関係の絆がかなり緩んでいるといわれています。親密な人間の関係をどうやってもう一度作り替えていくかということも、ジェンダーの観点がすごく重要だと思います。にもかかわらず、ジェンダー問題の解決が日本社会では進んでいない。30年以上地方自治体や政府が性差別撤廃についての動きを進めてはきたのですが、本当にほとんど動いていない。1987年に放送大学で「ジェンダーと人間」というテレビ放送を作成しました。その時の放送を、今、授業でやっても、全然古くない。20年前の放送がデータも含めてそのまま使えるという状態に日本社会がおかれているのです。これは、大きな問題だと思います。背景には男性主導社会の仕組みがある。
 最近はアンコンシャスバイアスという言葉も広がっています。自覚されていないバイアスがあるという議論です。教育分野で昔は「隠れたカリキュラム」と言われた問題ですが、これが職場や地域社会にも存在しているということになります。
 男性主導社会の特徴は、女性排除の構造があります。仕事の後の飲みニュケーションで情報が男性間で共有され、そこに参加しない女性たちは排除される。企業組織の重要な情報さえ女性に回ってこない。これは見えない女性排除の制度です。こうした問題も含めて男性主導社会のしくみをどう変えるかということが今大きな課題だと思います。男性主導の社会の制度・慣習の変革がなければ、ジェンダー平等社会は進まないのです。

社会の変化のなかで顕在化しつつある「男性問題」
 1970年くらいから産業構造や労働の変容が生じています。ものづくり産業から情報やサービスを中心とする産業に産業構造が転換しました。
 産業構造の変化とともに、家族や親密園をめぐる状況の変化やそれにともなう家族制度の変化も生じています。フランスで女性が夫の許可なしに働けるようになったのは、法律上1965年です。ヨーロッパの多くの国々の民法はナポレオン法典を基礎につくられていますから、70年代から80年代まで法律で家父長制が担保されていました。それが、1970年前後の女性解放運動のなかで変化していきます。日本の場合は第二次世界大戦の敗戦後に家父長制はなくなっていますし、協議離婚も経済的理由での中絶も法的には可能になっていました。他方で、欧米の1970年代の女性解放運動のテーマは、何よりも離婚と中絶をめぐるものでした。法制度上の男女平等は、1970年段階では、日本の方が欧米より性差別が少なかったのです。
 日本の法制度が欧米よりも男女平等をしれなりに達成していたことも理由かもしれませんが、1970年以後の国際的なジェンダー平等の動きに、日本社会はきわめて鈍感でした。見えない制度としての男性主導の仕組みも根深く残っています。制度が変わり始め、価値観も変わっているなかで、男性の変化を促さなければいけないのですがうまくいっていません。
 他方、男性も固定的な男性性に縛られて苦しんでもいます。男性には「弱みや感情を表に出すな」とか、「問題は自分一人で解決すべきだ」といった男性の縛りがある。長時間労働の問題もそこから来ています。「過労死」という言葉が1980年代後半にできて、いまやオックスフォードの英語の辞典に載っているほど日本では広がっています。弱みをみせることができないため、無理を重ねて体をこわす男性がたくさんいるのです。
 90年代後半には中高年の自殺が急増しました。家庭崩壊や老後の不安の問題もあります。高齢者の男性の再犯率もすごく上がり始めている。男性が引き起こす問題に関しても、ジェンダーの観点から目を向けなければいけない段階に入っているのではないかと思います。また、生活レベルでの自立能力を欠いている男性が多いので、離別や死別した後で生活が立ち行かなくなっている人たちもいます。高齢社会の深まりの中で結婚していないひとり息子が両親を介護するケースも増えて来ています。しかし生活能力がなく、介護が苦手な50代くらいの男性が思いあまって両親を殺すという悲劇も起こっているわけです。

男性性の重荷
 こうした問題をジェンダーの観点で見ていくと、従来の社会問題とは別の切り方ができるのではないかと思います。男性も変化を求められているのだけれど、変化に弱い。なぜ変化に弱いのかというと、男性主導で社会ができているからです。従来の男性主導のパターンで生きている限り、男性たちはあまり悩む必要がなかったのです。男性たちはワンパターンの生活のなかで変化に慣れていない。だから、変化が生じると、古い前例にしがみついたりしてなかなか対応できないのです。他方、女性たちは人生の節目で変化に直面して変化を選ばざるを得ない場合が多かった。だから、女性の方がジェンダー問題には敏感です。しかし、今、従来の男性主導のパターンが変化し始めている。しかし、その変化を男性の多くは直視することができない。というか、変化に気がついていない。多くの男性はここ30年から40年ほどの大きな変化に対応しないまま、生きている。ただ、大きな変化のなかで、「何かおかしい」「今までとは違う」というぼんやりした気分は広がっています。ぼくは、これを「剥奪感の男性化(Masculinization of Deprivation)」と呼んでいます。なんだか「男性の方にしわ寄せが来ている」という気持ちが、無自覚なまま男性の間に蔓延し始めているのではないかと思います。
 DVの増加、様々な社会病理現象、よくわからない事件の報道を見ていると、40代から50代無職男性というケースが本当に多い。男性がよくわからないもやもや感のなかで追い詰められていることについて、きちんと分析し、説明する必要がある。無自覚なまま「剥奪感」に襲われている男性を変えていかないと、社会病理問題も解決しないし、男女共同参画社会もできないのではないかと思います。

男性に変化を促す施策の必要性
 男性の混乱や不安に対応して男性に変化を促す施策が必要です。内閣府の男女共同参画基本計画の第三次計画の時、僕は起草委員をしていました。特に、主査として「男性・子ども」の分野を担当しました。ところが、第四次計画では男性という項目がなくなってしまった。たいへん残念なのですが、男性を対象とした施策の必要性がまだまだ重要だろうと思っています。
 もちろん何より必要なのは女性のエンパワメントですが。他方で、男性対象のジェンダー政策も求められている。男性というジェンダーに光を当てた政策の必要性があるのではないかと思っています。
 こうした観点から、ここ数年、各国の男性対象のジェンダー政策を調べ始めています。スウェーデンやドイツ、イギリス、オーストラリアなどの男性対象のジェンダー政策を調査しているのです。男性の悩み相談の体制、DV加害者対策、またDVや性暴力被害者男性などの対応などが、各国で進められています。また、「ホワイトリボンキャンペーン」という男性の非暴力国際運動もあります。男性対象のジェンダー政策をどう進めていくかということも含めてお話したいと思います。


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